なつが生まれるまで



2人目ということもあり病院に行ったのはなんとまぁ・・・6ヶ月に入った時。
1ヵ月を4週で計算していなかったから予想外・・・当然、先生にも驚かれた。

予定日は、2001年5月7日。あらまぁ、すぐではないですか・・・
病院を出たその足で、母子手帳をもらいに行きました。
親にも報告したけど笑われるは驚かれるわ・・・みんなうすうす気付いてたみたいだけど。
それまでの間、姉の家のお引越し準備でやたらと重たい物を運んでいたのに・・・何ともなくてよかった。

みづの時とは違い妊娠ライフはいろいろありました。
32週の時に逆子になり毎日寝る前に逆子体操をしなければならなくなりうつ伏せ右を向いた状態で寝る事2週間。右を向いていたのが今度は左になっていて、同じ事を左右逆にして寝る事さらに2週間。
36週に時に逆子がなおって一安心。少し小さめだけどいつ産まれても大丈夫だと先生に言われました。

2001年4月30日朝、お腹の痛みで目が覚める。どうやらこれは陣痛のよう。
寝ている旦那を起こしてその事を伝える。が、前日の夜からみづが熱っぽく調子が悪かった。ためしにみづの熱を測ってみるがやっぱり高い。幸か不幸かこの日は祭日。私の痛みはまだまだ大丈夫のようなので、とりあえずみづを休日診療へ連れて行く。
旦那がいない時に何かあっても嫌だし休日診療と産婦人科は目と鼻の先だし一緒に行く。なんだかんだとまだ大丈夫のようだし、買い物に行ったりしながら夜まで家で過ごす。
私自身は気楽なものだったが、陣痛の始まった嫁と、熱のある娘をかかえて旦那が1番パニクッていた。
そろそろ、陣痛も本格的になって来たけど、熱のあるみづを産婦人科に連れて行くわけにもいかないので、両親と姉に連絡し陣痛が始まった事、みづの熱がある事を言い両親に来てもらう事に。
1時間後、到着した両親は私が産婦人科に電話をするのを待ってみづを連れてそのまま帰って行った。
あの時、玄関先で何のためらいもなくバイバイをしたみづにはさみしさを感じたけど本格的に痛くなってきたので、旦那の運転で病院に。
みづの時の事があるしまた時間がかかるだろうと腹を決めていたら・・・
ついさっき、先生には『まだ4.5cmくらいだね〜』て言われてていたし、看護婦さんには『時間かかるし、リラックスしようか〜』と言われて、アロママッサージをしてもらって気持ちよかったのに、急激に痛くなってそのまま分娩室へ。
入院して2時間程。いきなり全開・・・
『いいよ〜』の言葉でいきんだ瞬間、破水した音が聞こえたのをしっかり覚えている。

途中、胎児の心音が下がったり私は酸素吸入したりしながらも本格的に痛くなってから数時間で産まれて来ました。


2001年4月30日、22時47分、分娩所要時間4時間1分。

考えていた名前の候補の中から、産まれた瞬間に旦那が『菜月』と命名


この時の出産は楽だったと思うけど、その後が大変でした。
胎盤が全然でてこなくてどんどん閉じていく子宮口に先生があせり、最終的にはかき出す事に。
ひじまで入れた先生の手が胃の辺りにあるのがわかり、かき出されるのが痛くて痛くて。産む時より叫んでいた私。
その時は分娩室の外にいた旦那が『もう産んだのに、何をそんなに叫んでるんだ?』と心配になったらしい。
先生には、『こんなにしっかりくっついている胎盤ははじめて〜。』と言われた。

処置後そのまま分娩台の上でしばらく過ごす。胸の上にはきれいにしてもらったなつと横には付き添いの旦那。
その後、なつを看護婦さんに託し、私はストレッチャーに乗せられ個室へ移動。個室に移って横になったまま実家と姉に電話をし落ち着くが私は寝付くことが出来ず、ずっと起きていた。
翌朝からいろいろ指導を受けるがみづを産んでからそんなに月日が経っていないため確認がてら話を聞く。
違った事は『後腹』母乳をあげるといっそう痛みが増す。あまりの痛さの為、子宮収縮剤が途中からなくなる。

2001年5月6日、経過良好で母子ともに退院。






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